そうは言っても〜私的所見〜

備忘録的に。芸術のこと。ファッションのこと。生きること。愛すること。食べること。

帰省して思ったこと〜会話について

実家のばあさんが、ボケてきたとずいぶん前から聞いていて、確かにそうかなと思うこともちょっとちょっと増えてきたなーと。

そんな中で帰省。ばあさん、オリンピック中継を見ていても、まぁあれやこれやと質問してくるんだが、すぐ忘れるし、人が答えたことは全然聞いていなく、結局自分が思っていることをブツブツ言っているのでそのうち答えるのはやめた。

かわいそうかなとも思うけど、こっちもやってられない。別に露骨に無視するわけではなく、独り言のような質問のようなことに対して何も答えないわけだから、まぁいいかと。

 

歳をとったばあさんをないがしろにするたぁなにごとぞ!!とお叱りを受けるかもしれないが、ばあさんはもともと、なんというか否定的なことから会話をする人で、選手のすごいプレーに私たちが湧くと、「こんなふうにばあさんもできれば面白いのに。できないわ」とか、水を差すような発言が多い人だった。

まぁ、悪い人では決してなく、家族のことを第一に考える、いい人なんですけどね。

 

そんでま、母親の妹と、じいさんの妹(おばさんと、おおおばさん)が盆ということで本家のうちに来たのだけれど、この二人もばあさんと同じであり。

まず、人の話を聞かない。人の回答を待つまでもなく、すでに自分の中に回答があり、それに沿った回答が得られない場合は、「そんなことないでしょ」と言い出す始末。

 

あー疲れた。想定内ではあったけど、この会話があるので、親戚付き合いってほんと嫌なのですわ。

 

「札幌は暑いかい?」

「今年はそんなに暑くないよ」

「ええ??暑いしょ?札幌だもの」

 

こんな不毛なやりとり。私の顔もつまらなくなるし。

こういう会話を幼い頃から強要されてきたので、私はいつも憮然とした、愛想のないめんこくない子というレッテルを貼られた。

ったく、この呪縛が大人になってもとれなくて、自分のことを、かわいくなく、気のきいた会話もできないつまらないやつと思い込まされてしまったのだから。

 

交流する人が広がり、いろんな人たちと付き合ううちに、この呪縛はだんだんととけてきた。

 

自分から質問したことの答えに対して、否定的な返しをするとか、人に質問しておいて、自分と違う答えが返ってきたからといって(そもそも答えがあるなら質問すんな)、また否定で返すとか、そういうことはほんとに気分を悪くすることだなと思った。

 

まず、人の話はよく聞こう。これを肝に命じた、帰省であった。