帰省して思ったこと〜農業について
8月11日から14日まで実家に帰省した。
12日の夜、地元で仲の良い友達と、食事会。いつもありがとうございます。
自分のことを大切だと思ってくれて、自分も大切だと思っている人との時間は、何の疑いも持つことのない、とても安心して心が安らぐ時間なのであります。
そんな私たちでも、今回は、政治や経済のことでいろいろ議論しました。
議論よいことです。ほんと、政治とと宗教と野球の話をするもんじゃないと、事なかれ主義の幼稚な意見は嫌なのです。
信頼できる間柄なのだからこそ、違う意見を話し合うのはとても大事だと思う。
で、年金の運用とかからはじまり、話題は農業のことへ。
私の実家は農業を営んでいましたし、食事をした二人は農家なので農業は大きな関心ごとのひとつです。
私は自分の家が農業をやっているのが嫌でした。その理由は、農作業を手伝わされるから。ほんとに嫌だった。会社員のお父さんの仕事を娘が手伝うなんて、絶対ないのに、なんで私はやんなきゃならないのか。中学校くらいまではしかたなくやっていたけど、高校生になると、きっぱりと嫌ですと断るようになった。妹は私に文句を言いながら、母親やばあさんにはいい顔をして手伝っていたが。
なので農業なんてどうでもいいとなるのかと思っていたら、離れてみると農業がいろいろ気になるようになり。。。勝手なもんです。
ここ10年くらいは、農地について法律が変わったり、政権の交代で補助金の制度が変わったりで、いろいろ動きがあったと思う。そして農協の改革についてもニュースになるようになってきた。
日本の農業は世界に通用すると信じてるが、メディアで付加価値をもっとつけて、アメリカの穀物メジャーなんかとは対極の位置をとり・・・とかいう意見も出ていて、大方は私もこの意見に賛成なのだけれど、実際、農業従事者の話を聞くと、なかなかそうはいかないんだなーといつも思う。
人それぞれ違うけど、やっぱり農業している人は、保守的だし、仕事柄、いろいろな業界や立場の人と交流する機会が乏しいので、情報不足のところもあるし、考え方に柔軟さがかけるところがあると思う。
上から目線な言い方になってしまうし、みんながみんなそうではないということもわかるけど。
農家が生活していけるだけ、農作物の値段がついていれば、補助金なんていらないとは言いつつ、農協を通さず、自ら販売や流通の活路を見出して、新しいことをやっている農家のことを、「自分たちとは違う。生産者じゃなくて、経営者だ」と、一定の距離をとる姿勢をみせる。
付加価値をつけて農作物を販売することに、卑しさを感じるような考え方をもっている。
たとえ国策のように、日本の農業を世界に打って出るようなことをしようと思っても、実際の農業者や地域の農業委員会のこういう凝り構った考え方をまず変えないと、せっかくの美味しくて高く売れる農作物がもったいない状況になってしまう。というか、すでになっている。
新浪剛史氏を、悪者みたいに言うようなかんじだと、なんだかなーと思う。
都会で暮らして、サラリーマンをやっている人間に、農業のことを語って欲しくないとも思っているのだろう。気持ちはわかる。
こういう感情が優先されてしまうと、本当は合理的だと思っているのに、都会に住んでいる人間の言うことは聞きたくないという、イギリスのEU離脱の是非と同じ構造なのだなと思ってしまうのであった。