飲み会の理由はひとつ
飲み会。いいじゃないですか。有志が居酒屋で食べて飲んで話す、話す内容のことはおいておいて、飲み会は良いです。
飲み会のメンバーはあくまで有志。私が参加する参加したいと思う飲み会メンバーは有志であることが大事というか、これ以外にないですよね。
その飲み会ではじめて会う人がいたとしても、有志であれば心は同じ。
意見交換も楽しいものとなります。議論になったとしても、それはある程度同じ言語の舞台に立つことができていると思うので、不毛で疲れるだけの時間にはなりにくいと思います。
だから、理由は、「行きたい」っていう理由でいいと思うのです。
飲み会のメンバー集めをいろいろとやっている人たち。
自分の飲み会に参加したのだから、あっちの飲み会には行くわけないよね?と無言の圧力をかける輩、人数が多いほど自分が人気者といわんばかりに自慢する輩。
そしてよくわからないのが、○○会とかいう、住んでいる場所とか、通勤に使っている沿線とかで人を集めるやり方。
たまにお誘いも来るのだけれど、その人たちって有志なの?ってメンバーだったりすると、私は参加しない。
もしかしたら、意外な一面があるかもしれないってこともないわけではないのだけれど、まぁ、まずそういうことはない。
「飲もうよ」「行こうよ」だけの理由だけでいいじゃん。って思うのです。
たいまん
怠慢ではない。タイマンのほうがいいのか。
たいまん張れないやつはダメでございます。
仕事でこうして欲しいな、ていうより、こうしてくれないから困っているんだよ。っていうことが起こった時、それは自分だけのエゴなのかどうか?ひとりよがりではないか?とよく考えた上で、そうではない、まっとうだなと確信したら、要望を伝える相手の人柄だの人当たりだの、傷つきやすい人なのかもしれないとかいう、よくわからない憶測はやめて、ストレートに伝える。
こうこうこうしてください
こんなふうに、普通に言う。
腹がたつのは、文章の最後の締めが、「ご協力をお願いいたします」
これだよ!!!!!これ!!!!!!!
やわらかい表現をしたつもりだろうけど、ほんとうに姑息なやり方だと思う。
だいたいにして、正当な要望を出しているわけなのだから、自分からのお願いとどうして正々堂々と言えないのか。
「ご協力をお願いいたします」って、自分だけの意見じゃない、みんながそう言ってるんだ、不快に思うな、みんなもやっているんだ、ってことを含んでいる。
すべてのパターンがあてはまるわけではないが、この、「ご協力をお願いいたします」がすごく嫌だなと思ったカンは意外と当たっている。
別に悪いことしているわけではないのに、なんなんだこの後ろ向きな発言。
たいまんはれよ。
相手に敬意をはらっていれば、気持ちはきちんと届く。
本来の要望のほかに、このようなおかしな感情が含まれているから物事がおかしくなるんだ。
空気読めって言葉も大嫌いだ。
こどもの頃の原風景 〜ポケモンGOと、自分で考えよう〜
先の金曜日、会社でも話題となっておりました。ポケモンGO。
で、こういう類のもにはまず食指が動かないわたくしですが、帰宅後、ダウンロードしてみました。
話できいていたとおり、3匹現れました。このあたりがつかみなんですね。
しかし、ボール?カプセル?当たらない。1匹捕まえましたが、あれは、うまい人なら3匹捕まえれるけど、どんなに下手のやつでも、1匹捕まえるまでモンスターは逃げずに待っていてくれるもんなんですかね。なんかそんな気がしました。
そんで、次の日、夕方から街へでかけたのですが、別に何も現れず、意味がわからなくなってきたところ、帰り道でいきなり現れたのですが、交差点の逆方向だったので、わざわざそっちの方に行くのも面倒くさく、そのまま帰宅。もう飽きた。
今日は外へは出ず、家にいたので現れるはずもなく、おそらくもうやらないでしょう。
こんなことに時間を使うくらいなら、たまった本を1行でも読んだほうがましです。
まぁ、あくまでこれは自分の感想ですから、遊ばれている方をどうこう言いません。これってものすごい経済効果ですよね。土曜日、いつも聴いているラジオで、靴底の部材のメーカーの株が上がったとか言ってました。どこで儲けが生まれるのか、こういう視点から考えるととても楽しいです。
かくいう、当社でも、これを機に、モバイルバッテリーを存分に売り込もう!!というお達しが出て、営業マンの方たちは、我が意を得たり!!とばかりに躍起になってます。
モバイルバッテリーって売りやすいですよね。何かの設定なんてもんは必要なく、不具合品が出たとしても、製品の不具合なのか、お客さんの使い方が悪いのかなど切り分けなど必要ありません。目的は充電するだけですから、充電できなければそれは不良品と即判断できます。実によい。
そこでまたいつものようにあちこちで言われているのが、お決まりの、こどもはゲームの世界で楽しむのではなく、山や川や自然の中で自分の頭で考えて遊ぶのが一番いいんだ!!みたいのです。
Twitterのタイムラインでもずいぶんこの手のツィート読みました。
やっぱりなーって思いました。
どうやらこれも昨日のラジオで聴いた話ですけど、グーグルの位置情報の取得が必要なので、アカウント情報の登録やらなんやらで、13以下?だったかな?の方はなかなかすぐに登録するのが難しいらしく、初日にすぐに遊べたこどもは少ないのではないか?とも言ってました。
私は、生まれも育ちも、北海道の日本海側で、山も川も海もすぐそばです。こどもでも自転車で山、川、海行けちゃう距離のところです。
なので、自然で遊ぶことの良さはすごくわかります。
でも、都会ってどうなんでしょうか?たまに東京行ったりしますが、自然といっても、大きな公園とか池で、あくまで作られた自然しかないですよね?
それでも遊ぶことに貪欲な人って、その場その場、その時その時で、自分で考えて知らないうちに遊んでいるんだと思います。もう無意識なんだと思います。
こどもも大人も。もしかしたら、勝手に遊ぶ大人は、こども時代に、自分で考えて遊ぶことをしてきた人なのかもしれないですけど、年齢とか育った環境とかあんまり関係ないのかもしれないなと、私は思うんです。
前にこのブログでも書きましたが、こどもの頃の夏を思い出すと、とにかく幸せだったと。
私、○歳に戻りたいとかまず思わないのですが、小学生〜中学生の夏休みを思い出すと、ほんとうに幸せだったと涙が出そうになります。
小学生の時は、自分一人や妹、近所のにいちゃんたちと、中学になると、弟たちと楽しいことを自分たちで考えて遊んでいた。
この経験が今の人格形成に影響はすごくあるとは思います。
でも、私、都会に生まれていたとしても、同じように自分で考えて何かしたんじゃないかな。
田舎で山と川と海しかなくて、当時はテレビゲームもスマホもネットもなかったから仕方なくじゃなくて。
都会に生まれてみたかったですよ。山や川の代わりに、美術館や博物館、動物園があるじゃないですか。ただ見学するだけじゃなく、自分で考えて楽しみを見つけたと思う。
ひとつ嬉しいなと思ったのは、たまたま私のタイムラインに流れてくるツィートがそうだったかもしれないけど、この「自分で考える」ってことが大切だっていうのが多かったこと。
とにもかくにも、これなんですよね。自分で考えよう!
マニュアルとか人の意見を参考にするのはいいけど、自分で考えようよ。
みんながそうだからとか、まわりがどうだからとかじゃなく。
自分で考えよう!!!
自分の何がどう変わっていくのか
まぁまぁ生きてきて、自分自身で変わったところ、変わらないところ、変わりつつあるところっていうのがあるんだなっていうのが、実感できるようになってきた。
子どものころ、20代のころは、変わるってなんなんだって思っていた。変わりようがないとも思っていた。なぜか知らないが、そんな根拠もない自信があった。
もちろんまったく変わらないところもあるんだけれど、容姿が変わるんだから、考え方も変わるだろうと考えたら、けっこうすんなり受け入れられた。
ちょっとネガティブなかんじがしていたので。
変わらないところは、おいておいて。
意外と私って変わったなと思う。
何を大切にするかとか、優先順位のつけかたとか、一番変わったところはこの部分かもしれない。
今や時間がとても大切で、お金や物にはあまり執着はなくなった。
そして人を考えるようになった。これも元をたどれば、貴重な時間を無駄にしないために、取り戻せない時間に後悔しないためにってことからきているんだろうけど、会いたい人、コンタクトを取りたい人にはアクションを起こそうと思ったってこと。
私は、どちらかというと人に対しては消極的なほうです。
あの時連絡していればとか、なるべくなら考えたくない。
それが、若いときなら何度かチャンスもあるだろうし、別のことを考えて、忘れてしまうかもしれないけれど、とにかく後悔したくない。
会えなくてもいいから、会おうとしたってことを自分がするかしないか、今後、何十年たっても、しなかったことを思い出して、ため息はつきたくない。
そんなことを強烈に思った、本日でありました。
感じてわかる、許せないこと。もやもやを面倒くさがらずに
もやもやを放っておいても、対外的には何ののもないのですが、後からぶり返して、訳もなく腹が立ったり、嫌な気分になったりするので、なるべく「なぜなんだ?」って考えるようにしたのです。
で、つい昨日、もやもやしたことがあったので、面倒くさがらずに考えてみたのです。
「ん?なんかひっかかる」って思って始めて、自分がそのことに関心があったとか、または、その人に好意を持っていたってことに自分自身が気がつくってことあります。
昨日は、近美に行っていたのですが、メッセンジャーでのやり取りの中で、「近美に行ってました」と返信したら、「いいですね(^ ^) 今度、美術館案内してください」と返ってきたのです。
メッセージの相手の方は、つい最近、facebookの友達申請がきた人なんですが、なぜか、私を若い女性だと思い込んでいて、よくメッセージがくるようになった人なんですが、東京によく旅行している理由を聞かれ、「美術館めぐり」と答えてあるし、美術が好きということも伝えた。
で、接点を持つために、「美術館を案内して」というフレーズを思いついて、何の気なしに送ったんだろうけど、受け取った私はすごくもやもやしたのです。
別に会ったこともない、何か危害を加えられた人でもないから深く考えないように思ったのですが、「まて!」と。
いつもこうやって面倒くさがっているから、後から、そういえばあんなことがあったなと思い出して、むやみにムカムカするんだと。
で、まことにどうでもいいことではありますが、なぜもやもやしたのか考えてみましたところ。
やはり、美術館や美術展という、私にとって人生でとても大切なものを軽々しく扱われたってとこでしょうね。
たいして(というかぜんぜん)興味もねーくせに、簡単に言ってんじゃねーよ!!と。
これで、一緒に行きましょうという話になったとしても、ドタキャンされたりして余計に頭にくること必至。
仮に一緒に行ったとしても、向こうは興味がないもんですから、ちょー退屈そうに絵をみるわけです。そらー腹立ちますよ。私がじっくりみていても、「ったく、まだみんの?」という態度をとるのです。ああ。もう。許せない。
こんなかんじでしょうか。
ていうか、過去に何度かありました、こういうこと。
作家や、美術館の名前も出してこないのに、軽々しく美術館に行こうなんて言うんじゃないよ!!!
と、きちんと怒りましたので、すっきりしたのです。
もやもやは、面倒くさがらず、きちんと根っこを考えよう!
札幌の美術館へ 〜デュフィの良さに気がつく〜
地元もバカにばっかしてちゃいけないんでね。
近代美術館でやっている、ポーラ美術館コレクション展へ行ってきました。
芸術の森へはやっぱり早起きができなかったのでこちらにしました。
気がついたらもう始まっていた!!と思いました。
三連休、昨日はなんだか疲れていたってのもあったし、夜に約束があったので、どこへも行かず、ひたすら体調回復のために家で寝ていたのですが、なーんと、ドタキャン。それも、早めに解放してくれればいいものを、「もしかしたら時間を作れるかもしれない」だのなんだの言うもんだから、美容室の前倒しもできず。
土曜日はお天気が良かったけど、日曜日の今日はなんだか曇っている。。。
あれ?ずっとお天気良かったんじゃなかったの?って、天気予報を見たら曇りから雨。
明日の月曜も曇り雨。
自転車で動けるのは今日しかないなと思い、中島公園のミッフィーと迷ったのですが、せっかく中島公園行くならお天気の良い日にゆっくりしたいので、近美にしました。夕方から美容室もあったので。
道中、雨がパラパラきましたが、大事に至らず、すいすい近美につきました。
ま、どうせ札幌だからと思いきや、意外と人きてました。
それでも東京や京都に比べるとぜんぜんなんですけど。こないだの有元利夫展より多かったな。年齢層、性別も様々で、こいうのは嬉しいなと思います。いろんな人が来てくれれば、北海道にも良い作品が来てくれると勝手に思ってしまいます・
作家の特別展ではなく、美術館展ってけっこう好きです。
美術館展って発見というか、いままでと見方がかわるってことがあったりするんです。
やはり押しているのは、モネなんだと思います。
「セーヌ川の日没、冬」よかったですね。
あとは、「ヴァランジュヴィルの風景」ですね。
モネも前はあんまり好きってわけではなかったのですが、ここ数年いいなと思ってきた作家です。
やっぱり光なんですよね。光と同時に、冬なら冬のキリッとした空気感、春なら春のあたたかな乾いた空気感。
どうしてあんなに伝わってくるんでしょうかね。
ほんとに、モネの絵には、バックライトがあるんじゃないかと思えます。
春に京都で見た、テュイルリー公園公園もそうでしたけど、絵から光が出ているとしか思えない。
その光をずっと体に浴びていたと思って、絵の前から離れられなくなるんです。
今回モネは、6点来てました。大作はなかったけど、どれも光がある良い絵でした。
次は、セザンヌから新印象派。このあたり、私はあんまり好きではないです。
これから急に「あっ!!」と思うことがあって、好きな作家が出てくるかもしれないんですけど、セザンヌもシニャックもまだよくわかりません。
次は、20世紀の前衛芸術ってことで、マティスが出てきました。
しかし!私は次にみた、デュフィに心を撃ち抜かれました。まったくのノーマークだったデュフィ。マティスの次の人くらいにしか認識してなかったけども。
今回、一点だけ来ていて、一押しだったのか、展示の壁の色がこの絵だけ違ってました。
五重奏
こうやってみると、なんてことなくフツウですが。
確かに本物も、何が迫力あるわけでもなくなんですけど、なんか気になって仕方がないんです。何度も見ました。
本物っていいなぁ。この絵だけみに、もう一度行こうかなと思えます。
デュフィはこのような楽奏の絵をたくさん描いています。音楽とリンクしている画家っていいですね。有元もそうです。
この線がいいですね。迷いなく、サーっと描いているかんじが。
また好きな作家が増えたぞ。なんか嬉しい。たった一点だったけど、デュフィの良さを教えてくれてありがとう!!
あー良い日だった。
で、やはりミュージアムショップでは何も買わず、白ドトールに寄ってから美容室へ。
帰りは雨でしたが、なんとか自転車で帰宅。
好きな人からメールも届いて、幸せな夜です。
明日は、映画でもいこうかな。
そこんとこ詳しくさ
最近よく見るようになった、渡辺直美さん。この方、芸人なのかな?タレント?
どぎついメイクや奇抜なファッションでなんか目をひきますね。
どちらかといえば好きなタイプです。見た目はわたしと真逆です。
ですね。この方のプロフィールやこないだテレビでご自身の経歴を語ってらしたことによると、なんか生き方に行き詰まって、アメリカに渡ったらしい。
こういうのってよく聞くんですけと、アメリカですよ。私が東京や横浜や大阪に住んでみたいなって思っていても、なかなか実現できないでいるのに、アメリカって、人生に行き詰まったからっつって、そんなに簡単にいけるもんなんですか??
行くだけでなく、住むって本当にいろいろあるでしょ。
昔、「知ってるつもり」っていう番組みてた時のいつも思っていたのですが、人生の転機のとき、なんか急に、「東京に出る」とか、「アメリカに渡る」とかいうエピソードが出てくるんですよね。
そんなお金って持っていたようには思えないのに。
こういう、地味だけどすごく大事な事務的な部分をもっと詳しくやってほしいのよ。
なんで省くんですかね。
たっくもー
来年、バベルの塔が日本に来る。
そして東京会場は、また都美。また、都美で行列になるんだろうか。
あすこ、外にエスカレータがあるからな。行列には向かない。