ヘイトスピーチって、つまるところなんなんだって
はずかしながら、ヘイトスピーチってわからないのです。
おそらく「ヘイト」と、「スピーチ」で成り立っている言葉なのだろうけど。
ヘイトスピーチのために集まっている方たちは、いいことをやっている人たちなのか、悪いことをやっている人たちなのか。
そして、カウンターと呼ばれる人たちはどの立場をとっている人たちなのか。
たとえば、リベラルの観点からみればどうなのか。
わからない。
最近成立施行された、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」がどんな影響を及ぼしているのか。
これが施行されてはじめての土日だったからどうだとかこうだとか。神奈川で寸でのところでやめた集会とか、こないだの数寄屋橋のとか、影響あるんだろうか。
なんか、北海道に住んでいると、こういう問題に疎くなる。
北海道で田舎育ちでっていうことで甘えているのかなっていうのはある。
まず、北海道じたい、あんまり選民思想がないというか、誤解を恐れず言うと、住んでいるところ、生まれたところで、あまり人を区別しない土地柄だと思う。
こちらで、「部落」という言葉は、所謂、「同和」な意味ではなく、単なる「町」とか「村」のある地域の意味合いで使う。
「部落会」というのは、単なる町内会の意味で、普通に日常会話で使うわけです。
なので、「同和問題」についての、授業など受けたことはなかった。今はわからないが、わたしが小学校・中学校・高校のときは、時限まるまるそのことについて時間をとったことはなかった。
授業の中の余談で先生が話しをしたことはあったけど、大人になってからいろいろ知って驚いた。
それでも、口にすることじたいタブーなのではないかと思い、大人になってから知り合った友達とかにはどういうものなのか聞くことがなかなかできない。
ネットで調べようにも、本当に知りたい情報を探し出すのが大変で、芸能人のだれが、そこの出身だとか、半島の血が入っているだとか、そんなのが多くて諦めてしまう。
書籍もいいのがない。
何冊か買ったが、やっぱりそもそもの根っこがわからない。
在日の方も北海道にはいるはいると思うのだけど、コミュニティを形成するほどではないのでやはり、我々と何がどう違うのか、やっぱりわからない。
そもそも一緒にするなと言われるかもしれないけれど、自分と違う人たちだと感じる他人が生活にいたことがないんです。
アイヌの方がいたけど、大人はなんかよそよそしく接していたかな。
安保法案の議論の時も、テレビでいろいろ論客が話しをしていたが、安保法案賛成の人の話しも、反対の人の話しも、どちらも何を言っているのかわからなかったが、なんかそれに近いものがあるな。
今は、わかるんだけど。
前に、橋下徹と、桜井誠が、あーだこーだのバトルをみたけど、まったく意味がわからなかった。
これから自分なりに、何かの基準とかできるのだろうか。
人間って、なにか自分より無条件で下とみれるもので心の整理をつけるってことから逃れられないのだろうか。