そうは言っても〜私的所見〜

備忘録的に。芸術のこと。ファッションのこと。生きること。愛すること。食べること。

ひらがなについて

なんとなく、仕事で打つメールの文章でひらがなを多用することが多くなってきた。

 

何ヶ月前か、漢字ではなく、平仮名で書くことのやわらかさというも記事を雑誌か、書籍かで読んだことを覚えているが、そもそも毎日なんらかの本や雑誌を読んでいるわけで、このようなエピソードが頭に残っっているってことは、その記事を読む前からすでに関心があったことだと予想される。

 

よく使うのは、「させていただきます」、「ぞんじます」かな。

当然、普通にキーボードを打つと、「頂きます」、「存じます」と変換されるわですけど、あえて、ひらがな表記に変換しなおしたり、打ち直したりするのです。

 

それを読む人がどう受け取るかは知りません。極端なことになると、漢字も使えないのか、や、幼稚だなと思われるのかもしれません。

さすがに、なんでもかんでもひらがなにはしません。

「いつもお世話になっております」を、「いつもおせわになっております」とは書きません。

しかしながら、相手がどう思うかより、自分がどう思うかのほうにシフトしているわたくしにとって、どうでもいいことなのです。

 

ひらがなのやわらかさは、相手に自分の気持ちを伝えるっていうより、書いている自分がなんか、やさしい気持ちになれるような感じがするのです。

 

ついカッとしたときとか、気をつけてひらがなにしたりする。ひらがなそのものの効果のほかに、わざわざひらがなに変換するという、余計な行為による怒りから遠ざかる効果もあると思うんです。怒りと関係ない行為を挟むというか。

 

相手にどう伝わるかなんて誰にもわかりません。

仕事で伝えなければならない事務的なこと以外に、気遣いとかやさしさとか思いやりなんていうものをいくら発信側が盛り込んだところで、それをどう感じるかなんて受けて側の勝手なんですからね。

発信側の意図がまったく気にされていないことのほうがほとんどだと思うのです。

 

それよりも、自分が落ち着いてやわらかな気持ちになったほうが、相手に対しても良い心持ちで接することができるような。結果オーライだと思うのです。

 

私は人との距離の取り方が上手ではなく、それで疲れてしまうことが多くあるのですが、相手相手と考えるのではなく、自分はどうか?で考えてみたほうが、良いのではないのか〜と。ここんとこ思うのでした。