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そうは言っても〜私的所見〜

備忘録的に。芸術のこと。ファッションのこと。生きること。愛すること。食べること。

そのものが正体ではなく、どう感じるか

「わたし頑張っているよね??」と、やたらと言う人いるんですが、まぁ、がんばっているんでしょう。

おそらくですが、頑張っているのに○○○と、続くんでしょうけど。

 

幸せになれないとか報われないとかいうこの方。

頑張るって言葉は好きではないけど、頑張るにかわる言葉もなかなかない。

 

幸せってもんは、何かを頑張ったり、我慢したり、乗り越えたりした後に、どこか彼方から与えられるものではなく、自分がどう感じるか。

幸せって感じるか。怒りについて書いた本を読んだが、怒りそのものは存在しなく、怒った感じるかどうかだと。怒りだけでなく、なんでもそうなんだろうけど、どう思うか、感じるか。それは人それぞれ違うので、同じ出来事でも、幸せって感じる人もいれば、感じない人もいる。

 

わいせつについて考えた。

たとえば、男性や女性の大切な部分の写真をおおやけの場に掲げたりしたら、わいせつ罪とかに問われたりするんだろうけど、その大切な部分が、ものすごくどアップで、拡大していたものだとしたら(毛穴が見えるくらいとか)、普通に見ただけではそれはどこの写真なのかわからないので、わいせつではなくなる。

 

だから、わいせつも、その対象そのものがわいせつではなく、わいせつだと感じるかどうかだと思う。

昔、飲み屋によくある、熱くなると、中の液体がぽわんと上に上がって、そのあと下に下がるあの置物(名前が思い出せないというか、そもそも知らないのかもしれない)、の中の液体の形が男性の大切な部分に見えて仕方なく、一緒に食事をとっていた女友達と笑いが止まらなくなったことがあったが、あれは、わいせつだと我々が感じたからだ。

 

事実や出来事は常にフラットである。

でもそれをどう感じるかは、みんな違うし、違うから楽しい。