そうは言っても〜私的所見〜

備忘録的に。芸術のこと。ファッションのこと。生きること。愛すること。食べること。

こどもの頃の原風景 〜ポケモンGOと、自分で考えよう〜

先の金曜日、会社でも話題となっておりました。ポケモンGO

で、こういう類のもにはまず食指が動かないわたくしですが、帰宅後、ダウンロードしてみました。

話できいていたとおり、3匹現れました。このあたりがつかみなんですね。

しかし、ボール?カプセル?当たらない。1匹捕まえましたが、あれは、うまい人なら3匹捕まえれるけど、どんなに下手のやつでも、1匹捕まえるまでモンスターは逃げずに待っていてくれるもんなんですかね。なんかそんな気がしました。

 

そんで、次の日、夕方から街へでかけたのですが、別に何も現れず、意味がわからなくなってきたところ、帰り道でいきなり現れたのですが、交差点の逆方向だったので、わざわざそっちの方に行くのも面倒くさく、そのまま帰宅。もう飽きた。

 

今日は外へは出ず、家にいたので現れるはずもなく、おそらくもうやらないでしょう。

こんなことに時間を使うくらいなら、たまった本を1行でも読んだほうがましです。

まぁ、あくまでこれは自分の感想ですから、遊ばれている方をどうこう言いません。これってものすごい経済効果ですよね。土曜日、いつも聴いているラジオで、靴底の部材のメーカーの株が上がったとか言ってました。どこで儲けが生まれるのか、こういう視点から考えるととても楽しいです。

かくいう、当社でも、これを機に、モバイルバッテリーを存分に売り込もう!!というお達しが出て、営業マンの方たちは、我が意を得たり!!とばかりに躍起になってます。

バイルバッテリーって売りやすいですよね。何かの設定なんてもんは必要なく、不具合品が出たとしても、製品の不具合なのか、お客さんの使い方が悪いのかなど切り分けなど必要ありません。目的は充電するだけですから、充電できなければそれは不良品と即判断できます。実によい。

 

そこでまたいつものようにあちこちで言われているのが、お決まりの、こどもはゲームの世界で楽しむのではなく、山や川や自然の中で自分の頭で考えて遊ぶのが一番いいんだ!!みたいのです。

 

Twitterのタイムラインでもずいぶんこの手のツィート読みました。

やっぱりなーって思いました。

どうやらこれも昨日のラジオで聴いた話ですけど、グーグルの位置情報の取得が必要なので、アカウント情報の登録やらなんやらで、13以下?だったかな?の方はなかなかすぐに登録するのが難しいらしく、初日にすぐに遊べたこどもは少ないのではないか?とも言ってました。

 

私は、生まれも育ちも、北海道の日本海側で、山も川も海もすぐそばです。こどもでも自転車で山、川、海行けちゃう距離のところです。

なので、自然で遊ぶことの良さはすごくわかります。

でも、都会ってどうなんでしょうか?たまに東京行ったりしますが、自然といっても、大きな公園とか池で、あくまで作られた自然しかないですよね?

それでも遊ぶことに貪欲な人って、その場その場、その時その時で、自分で考えて知らないうちに遊んでいるんだと思います。もう無意識なんだと思います。

こどもも大人も。もしかしたら、勝手に遊ぶ大人は、こども時代に、自分で考えて遊ぶことをしてきた人なのかもしれないですけど、年齢とか育った環境とかあんまり関係ないのかもしれないなと、私は思うんです。

 

前にこのブログでも書きましたが、こどもの頃の夏を思い出すと、とにかく幸せだったと。

私、○歳に戻りたいとかまず思わないのですが、小学生〜中学生の夏休みを思い出すと、ほんとうに幸せだったと涙が出そうになります。

小学生の時は、自分一人や妹、近所のにいちゃんたちと、中学になると、弟たちと楽しいことを自分たちで考えて遊んでいた。

この経験が今の人格形成に影響はすごくあるとは思います。

でも、私、都会に生まれていたとしても、同じように自分で考えて何かしたんじゃないかな。

田舎で山と川と海しかなくて、当時はテレビゲームもスマホもネットもなかったから仕方なくじゃなくて。

都会に生まれてみたかったですよ。山や川の代わりに、美術館や博物館、動物園があるじゃないですか。ただ見学するだけじゃなく、自分で考えて楽しみを見つけたと思う。

 

ひとつ嬉しいなと思ったのは、たまたま私のタイムラインに流れてくるツィートがそうだったかもしれないけど、この「自分で考える」ってことが大切だっていうのが多かったこと。

 

とにもかくにも、これなんですよね。自分で考えよう!

 

マニュアルとか人の意見を参考にするのはいいけど、自分で考えようよ。

 

みんながそうだからとか、まわりがどうだからとかじゃなく。

 

自分で考えよう!!!

 

自分の何がどう変わっていくのか

まぁまぁ生きてきて、自分自身で変わったところ、変わらないところ、変わりつつあるところっていうのがあるんだなっていうのが、実感できるようになってきた。

 

子どものころ、20代のころは、変わるってなんなんだって思っていた。変わりようがないとも思っていた。なぜか知らないが、そんな根拠もない自信があった。

 

もちろんまったく変わらないところもあるんだけれど、容姿が変わるんだから、考え方も変わるだろうと考えたら、けっこうすんなり受け入れられた。

ちょっとネガティブなかんじがしていたので。

 

変わらないところは、おいておいて。

意外と私って変わったなと思う。

何を大切にするかとか、優先順位のつけかたとか、一番変わったところはこの部分かもしれない。

今や時間がとても大切で、お金や物にはあまり執着はなくなった。

そして人を考えるようになった。これも元をたどれば、貴重な時間を無駄にしないために、取り戻せない時間に後悔しないためにってことからきているんだろうけど、会いたい人、コンタクトを取りたい人にはアクションを起こそうと思ったってこと。

私は、どちらかというと人に対しては消極的なほうです。

 

あの時連絡していればとか、なるべくなら考えたくない。

それが、若いときなら何度かチャンスもあるだろうし、別のことを考えて、忘れてしまうかもしれないけれど、とにかく後悔したくない。

会えなくてもいいから、会おうとしたってことを自分がするかしないか、今後、何十年たっても、しなかったことを思い出して、ため息はつきたくない。

 

そんなことを強烈に思った、本日でありました。

感じてわかる、許せないこと。もやもやを面倒くさがらずに

もやもやを放っておいても、対外的には何ののもないのですが、後からぶり返して、訳もなく腹が立ったり、嫌な気分になったりするので、なるべく「なぜなんだ?」って考えるようにしたのです。

 

で、つい昨日、もやもやしたことがあったので、面倒くさがらずに考えてみたのです。

「ん?なんかひっかかる」って思って始めて、自分がそのことに関心があったとか、または、その人に好意を持っていたってことに自分自身が気がつくってことあります。

昨日は、近美に行っていたのですが、メッセンジャーでのやり取りの中で、「近美に行ってました」と返信したら、「いいですね(^ ^) 今度、美術館案内してください」と返ってきたのです。

メッセージの相手の方は、つい最近、facebookの友達申請がきた人なんですが、なぜか、私を若い女性だと思い込んでいて、よくメッセージがくるようになった人なんですが、東京によく旅行している理由を聞かれ、「美術館めぐり」と答えてあるし、美術が好きということも伝えた。

 

で、接点を持つために、「美術館を案内して」というフレーズを思いついて、何の気なしに送ったんだろうけど、受け取った私はすごくもやもやしたのです。

 

別に会ったこともない、何か危害を加えられた人でもないから深く考えないように思ったのですが、「まて!」と。

いつもこうやって面倒くさがっているから、後から、そういえばあんなことがあったなと思い出して、むやみにムカムカするんだと。

 

で、まことにどうでもいいことではありますが、なぜもやもやしたのか考えてみましたところ。

やはり、美術館や美術展という、私にとって人生でとても大切なものを軽々しく扱われたってとこでしょうね。

たいして(というかぜんぜん)興味もねーくせに、簡単に言ってんじゃねーよ!!と。

これで、一緒に行きましょうという話になったとしても、ドタキャンされたりして余計に頭にくること必至。

仮に一緒に行ったとしても、向こうは興味がないもんですから、ちょー退屈そうに絵をみるわけです。そらー腹立ちますよ。私がじっくりみていても、「ったく、まだみんの?」という態度をとるのです。ああ。もう。許せない。

 

こんなかんじでしょうか。

ていうか、過去に何度かありました、こういうこと。

作家や、美術館の名前も出してこないのに、軽々しく美術館に行こうなんて言うんじゃないよ!!!

 

と、きちんと怒りましたので、すっきりしたのです。

 

もやもやは、面倒くさがらず、きちんと根っこを考えよう!

札幌の美術館へ 〜デュフィの良さに気がつく〜

地元もバカにばっかしてちゃいけないんでね。

近代美術館でやっている、ポーラ美術館コレクション展へ行ってきました。

芸術の森へはやっぱり早起きができなかったのでこちらにしました。

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気がついたらもう始まっていた!!と思いました。

三連休、昨日はなんだか疲れていたってのもあったし、夜に約束があったので、どこへも行かず、ひたすら体調回復のために家で寝ていたのですが、なーんと、ドタキャン。それも、早めに解放してくれればいいものを、「もしかしたら時間を作れるかもしれない」だのなんだの言うもんだから、美容室の前倒しもできず。

 

土曜日はお天気が良かったけど、日曜日の今日はなんだか曇っている。。。

あれ?ずっとお天気良かったんじゃなかったの?って、天気予報を見たら曇りから雨。

明日の月曜も曇り雨。

自転車で動けるのは今日しかないなと思い、中島公園のミッフィーと迷ったのですが、せっかく中島公園行くならお天気の良い日にゆっくりしたいので、近美にしました。夕方から美容室もあったので。

 

道中、雨がパラパラきましたが、大事に至らず、すいすい近美につきました。

 

ま、どうせ札幌だからと思いきや、意外と人きてました。

それでも東京や京都に比べるとぜんぜんなんですけど。こないだの有元利夫展より多かったな。年齢層、性別も様々で、こいうのは嬉しいなと思います。いろんな人が来てくれれば、北海道にも良い作品が来てくれると勝手に思ってしまいます・

 

作家の特別展ではなく、美術館展ってけっこう好きです。

美術館展って発見というか、いままでと見方がかわるってことがあったりするんです。

 

やはり押しているのは、モネなんだと思います。

セーヌ川の日没、冬」よかったですね。

あとは、「ヴァランジュヴィルの風景」ですね。

モネも前はあんまり好きってわけではなかったのですが、ここ数年いいなと思ってきた作家です。

やっぱり光なんですよね。光と同時に、冬なら冬のキリッとした空気感、春なら春のあたたかな乾いた空気感。

どうしてあんなに伝わってくるんでしょうかね。

ほんとに、モネの絵には、バックライトがあるんじゃないかと思えます。

春に京都で見た、テュイルリー公園公園もそうでしたけど、絵から光が出ているとしか思えない。

その光をずっと体に浴びていたと思って、絵の前から離れられなくなるんです。

今回モネは、6点来てました。大作はなかったけど、どれも光がある良い絵でした。

 

次は、セザンヌから新印象派。このあたり、私はあんまり好きではないです。

これから急に「あっ!!」と思うことがあって、好きな作家が出てくるかもしれないんですけど、セザンヌシニャックもまだよくわかりません。

 

次は、20世紀の前衛芸術ってことで、マティスが出てきました。

マティスは小品が2点でした。マティスの筆使い好きです。

しかし!私は次にみた、デュフィに心を撃ち抜かれました。まったくのノーマークだったデュフィマティスの次の人くらいにしか認識してなかったけども。

今回、一点だけ来ていて、一押しだったのか、展示の壁の色がこの絵だけ違ってました。

五重奏

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こうやってみると、なんてことなくフツウですが。

確かに本物も、何が迫力あるわけでもなくなんですけど、なんか気になって仕方がないんです。何度も見ました。

本物っていいなぁ。この絵だけみに、もう一度行こうかなと思えます。

デュフィはこのような楽奏の絵をたくさん描いています。音楽とリンクしている画家っていいですね。有元もそうです。

この線がいいですね。迷いなく、サーっと描いているかんじが。

 

また好きな作家が増えたぞ。なんか嬉しい。たった一点だったけど、デュフィの良さを教えてくれてありがとう!!

あー良い日だった。

 

で、やはりミュージアムショップでは何も買わず、白ドトールに寄ってから美容室へ。

帰りは雨でしたが、なんとか自転車で帰宅。

 

好きな人からメールも届いて、幸せな夜です。

 

明日は、映画でもいこうかな。

そこんとこ詳しくさ

最近よく見るようになった、渡辺直美さん。この方、芸人なのかな?タレント?

 

どぎついメイクや奇抜なファッションでなんか目をひきますね。

どちらかといえば好きなタイプです。見た目はわたしと真逆です。

 

ですね。この方のプロフィールやこないだテレビでご自身の経歴を語ってらしたことによると、なんか生き方に行き詰まって、アメリカに渡ったらしい。

 

こういうのってよく聞くんですけと、アメリカですよ。私が東京や横浜や大阪に住んでみたいなって思っていても、なかなか実現できないでいるのに、アメリカって、人生に行き詰まったからっつって、そんなに簡単にいけるもんなんですか??

行くだけでなく、住むって本当にいろいろあるでしょ。

 

昔、「知ってるつもり」っていう番組みてた時のいつも思っていたのですが、人生の転機のとき、なんか急に、「東京に出る」とか、「アメリカに渡る」とかいうエピソードが出てくるんですよね。

そんなお金って持っていたようには思えないのに。

 

こういう、地味だけどすごく大事な事務的な部分をもっと詳しくやってほしいのよ。

なんで省くんですかね。

 

たっくもー

 

来年、バベルの塔が日本に来る。

そして東京会場は、また都美。また、都美で行列になるんだろうか。

あすこ、外にエスカレータがあるからな。行列には向かない。

捨てたあと、空いた時間

7月からセールが始まってます。

何年か前、血迷ったいくつかのデパートが、セールの開始を半月ほど遅くやったことがあったような。去年?一昨年?

大方の予想どおり、それは根付かず、今年も当たり前に7月一日からとなっているようです。

 

そら、近年は9月になってからいつまでも暑いもんだし、今すぐ夏物が欲しい人もいるしで、だったら定価で買ってくれたらありがたいって思うのもわかりますけれど、人の気持ちってそういうもんでもないのよ。

暑かろうと寒かろうと、決まった日は決まってるんです。

 

昔、タツノコプロの、タイムボカンシリーズは、土曜の18:30〜と決まっていたのに、イタダキマンから急に、19:30〜になりました。

正直、18:30〜は、夕飯の時間とも重なって、「テレビ見ながらご飯食べるんじゃない!」と親に叱られるリスクが高く、子供ながらに「中途半端な時間だな」と思っていました。

19:30〜になって、わりとゆっくりできる時間の放送になったと思ったけど、観なくなっちゃいました。そして私だけでなく、全国の視聴率も落ちたんです。

なんでなんでしょうね?イタダキマンダントツに面白くなかったわけではないと思うんですけど、当時テレビは本当に生活の一部で生きるリズムを決めていましたから、土曜の19:30〜にはもうすでに、別の番組があって、習慣的にその元々観ていた番組をみないわけにはいかなかったという人が多くいたと思う。

土曜の19:30といえば、巨泉のクイズダービーか、あばれはっちゃくでしょうね。

 

そんなわけで、なんでも合理的を押し付けてもだめなんですよ。

 

セールです。私は何も買っていませんし、セールになったからいって、あれを買おうと狙っていたものもないのです。

ちょっと前の自分からは考えられないです。いつもなら、毎日毎日会社の帰り、駅周りの商業施設をうろうろしていたのです。

それが、6月半ばからは、会社の帰りに駅周りによらずに帰宅するようにもなり、ほとんど毎日行っていた、大丸とエスタの地下食品街にも滅多に行かなくなりました。

本はもっぱら、街のこれまた中途半端な場所にある丸善で、ほとんど毎日行きますが、購入したことはおそらく一度もなく、ほとんど立ち読みです。今日も行きました。

 

わけもなく、駅周りをうろついていた1〜2時間が完全に空きました。家に早く帰れます。そして簡単でも料理ができます。

食べてまだ寝るまで十分時間があります。ごろごろする時間があります。

 

物欲がなくなって、こんなに幸せだなんて。

ついこないだの、無印良品週間のときも、安くなっているからという理由だけで買い物はしませんでした。

 

ほとんど、去年と同じものを着て過ごします。買ってから5年以上たった服もありますが、それも着ます。

昨年、たくさん服を処分しましたが、まだ十分あります。そして、一週間のうちに2回同じ服を着ることも普通にあるし、これで良いんだと思えてほんとうに気持ちが軽くなった。

冬はブーツを履くので、膝丈スカートにタイツばかりでしたが、今時期は、ほぼ、ベージュのチノパンのみ。たまに暑くなると、スカートに靴下です。

近年、靴下がおかしくないファッションになって便利になった!!

ストッキングは面倒くさいからです。

 

会社に行く服はほとんど決まりました。

休みの日に着る服もほとんど決まりました。

 

選ぶ時間が無くなりました。ここにも余裕ができました。

 

まあ、ものは売れたほうがいいとは思うんですけどね。

 

今でも服や靴は大好きなので、お金がたくさんあれば買いたいですけど、買っても、身に付けるのは私一人だけですからね。

 

今は、そのお金と時間を、旅行や読書にあてたいのです。

 

さはさりながら

そして今日で6月も終わり。

どうやら、明日から7月を許可した者がいるようです。

 

人の好き、嫌いについて。

全部好きというのもないし、全部嫌いというのもない。最初は好きだったけど、後から嫌いになる場合もある。その逆も。

この部分は許せるけど、ここは嫌いっていう人は、好きな人の部類にはあまり入らない。

 

今日、「ええ??」ということがあって、今まで好意的な興味をもっていた人に対してうーんと思うことがあった。ま、実際会っている人とかではないのですが。

こういうことがあると、自分の中でああ、トリガーはこれかって気がつく。不思議なもんです。そして一つトリガーがわかると、「そういえばこういうところもな〜」なんて思い始めて、だんだんと嫌い側になってゆくのです。

嫌いだから理由がみつかる。そう、逆なのです。真実は。

 

好きなことって曖昧だけど、嫌いなことってわりとはっきりしてます。

たぶん、嫌いと思うってことは、生存本能からきていると思うんですね。嫌いと思うことは、自分にとって益ではないということなんでしょう。

 

そんでもって、好きなタイプは、「やさしい人」とか、「おおらかな人」とか、曖昧でうすらぼんやりしたイメージですけど、嫌いなタイプなんつったら、まぁ出るわ出るわ。しかも、具体的なんですねー。

 

金に細い男は嫌です。SNSに、いちいち食べたものの値段を載せている人もなんかだんだんと嫌になってくるのです。すんごい偏見とはわかるのですが、なんだかね。

こんなにお得なんだよ!!とか教えているのかもしれませんが、なんかね。

 

これは好き嫌いの問題ですからね。なんでかって言われてもそういうもんなんです。

 

あーあぶないあぶない。トリガーに気づけた。これからちょっと時間ができるかもしれないな。